十一 戦後の川俣谷茶業の復活|深蒸し茶誕生の物語|川俣谷のお茶|108teaworks

十一 戦後の川俣谷茶業の復活

深蒸し茶の普及

戦争で衰退の一途を辿った川俣谷の茶産地に再び復興の道が拓ける。戦後の茶業振興策と茶優良品種「やぶきた」の導入で川俣谷の茶園面積は徐々に回復に向かっていたが、昭和38年(1963)頃、この地域の茶を主に東京に送っていた松阪市の老舗茶問屋「老松園」社長杉本健太郎が消費者の嗜好を調査し、東京の水に合ったお茶作りを試み、試行錯誤の上「深蒸し茶」を試作し、飯南町や飯高町の茶農家を集め、深蒸し茶研究会を発足させ普及に努めた。この深蒸し茶は東京で人気を集め、飯南の深蒸し茶として再び脚光を浴びることになった。深蒸し茶は、茶の葉を深く蒸して茶葉の葉柄や軸などに多く含有するテアニンなど旨みの成分の浸出を容易にする製法で、茶品種「やぶきた」を用いた深蒸し茶は旨みが濃くまろやかな味のお茶として全国や関西品評会で常に上位を独占し、深蒸し茶ブームの先駆けとなった。

深蒸し茶の普及で川俣谷地域の茶は再び増加に転じ、平成16年(2004)には369ヘクタールと明治43年の水準まで回復したが、近年はペットボトル茶の普及から川俣谷地域など良質茶産地は苦境にたち、茶農家は生き残りをかけて協業組織による経営規模拡大と機械化、直販路の開拓などに取り組んでいる。


戦後、川俣谷茶業の復興に尽力した先人

〇中嶋末治郎(1899〜1990)

明治32年四日市市追分で製茶卸売業を営む中嶋家に生まれ、2代目末治郎を襲名。先代末治郎は明治8年(1875)、中島製茶を創業、明治32年(1899)四日市港が海外貿易港の指定を受けると伊勢茶をアメリカや満州に直輸出を試み伊勢茶の販路拡大に尽くした人物であるが、2代目末治郎も先代の偉業を引き継ぎ、戦後の混乱期の三重県茶業発展の礎を築いた一人である。

現在の松阪茶が関西茶品評会で上位入賞を続けているが、この母体である関西茶業協議会設立を提唱し初代会長を務めたほか、県茶商組合理事長など数々の要職を歴任し、その功績で昭和41年藍綬褒章、45年勲5等旭日双光章を授章、平成2年三重県茶業界から胸像が贈られ、中島製茶社屋玄関前に建つ。

〇野呂恭一(1919〜1995)

大正8年飯南郡宮前村(現松阪市飯高町宮前)の素封家に生まれ、郷里の中学校教師になったが、周囲の強い勧めで県会議員となり、40歳の若さで県議会議長に推挙され、昭和38年衆議院議員となり連続7期当選、昭和54年には厚生大臣を務めるなど輝かしい経歴の持ち主である。

野呂は政務多忙にも関わらず、茶業に関しては生家が茶栽培を行っていたこともあって特別の思いを持ち、昭和34年には県内の茶生産者、茶商業者をまとめ三重県茶業会議所を設立し、自ら会頭となって戦後の三重県茶業復興の先頭に立った。

野呂の数々の功績に対し、昭和62年三重県民功労賞、平成2年勲一等瑞宝章が贈られ、平成16年には松阪市制70年に際し、故人に対して松阪市名誉市民の称号が贈られた。

〇杉本憲太郎(1919〜1996)

大正8年生まれ、三重県立津中学校(旧制)卒業後、野村銀行に就職するが、昭和15年兵役で終戦、復員後、株式会社「老松園」社長として茶卸売業に専念の傍ら、三重県茶業会議所副会頭、松阪商工会議所会頭などの要職を歴任する。

杉本の数々の業績の中で特筆すべきは、〝常に茶商売は消費者の目線にあるべき〟の考えから、消費地に出向いて嗜好性を調査し商品に活かす努力をしていたが、関東方面に販路を広げるに当り、東京で「香りと濃い味の茶」が好まれる傾向にあることを知り、通常より製茶蒸工程を長くした深蒸し茶を開発したことである。

杉本は、深蒸し茶の開発の功績で昭和63年黄綬褒章、平成6年勲4等瑞宝章を授けている。

〇若林亨(1915〜1970)

大正4年飯南郡粥見村向粥見(現松阪市飯南町向粥見)の茶農家の次男に生まれ、県の茶業専門技術員や茶業試験場長を勤める。

若林の業績の中で特筆すべきは、昭和38年頃、杉本憲太郎(前述)と二人三脚で、当時、東京で「蒸程度の深い茶」が売れていることに目をつけ、「深蒸し茶」の栽培製造技術を研究し、川俣谷地域に於ける深蒸し茶の製造技術を体系化し、今日の飯南・飯高地域の深蒸し茶を技術面で支え、杉本をして〝飯南の深蒸し茶は若林さんの尽力がなければ成し得なかった〟と言わしめた。

〇浦辻新一(1908〜1988)

明治41年飯南郡粥見村の旅館業を営む浦辻家の長男に生まれる。戦前に粥見製茶株式会社を立ち上げ事務方として国内販路獲得に奔走したが、戦争突入で茶も統制品となり会社は解散せざるを得なかった。戦後間もなくこの会社の跡を引き受け、茶問屋「浦辻清香園」を開業し、川俣谷地方の茶を集荷、四日市の中島製茶を通して有利販売をした。当時はこの地方の唯一の茶問屋として茶生産者が集まりサロン的な場所となっていた。

〇横山俊祐(1913〜2003)

大正2年長野県に生まれる。昭和26年、三重大学三重農林専門学校を卒業後、三重県に就職し、一貫して茶業の試験研究に取り組み、昭和45年に発表した「送風法による茶園の凍霜害防止技術の開発(防霜ファン)」は、画期的な開発として全国的に注目された。

降霜の条件として無風快晴の日、暖められた地面が放射冷却により地表近くの温度が異常に降下するが、地表8〜10メートル付近に暖かい空気の層(逆層)があることを発見し、この空気の層をファンにより茶園面まで降下させることを原理とした「防霜ファン」を開発した。この技術開発は防霜効果が高く、省力的であることから全国に普及した。平成14年三重県民功労賞を授与された。

〇庄山孝義(1930〜2009)

昭和5年、父の赴任先である桑名郡益生村で生まれ、三重県農林専門学校(現三重大学)を卒業後、昭和26年、三重県から招聘を受け、以来、三重県農業試験場茶業分場で36年間茶業研究一筋、その間、昭和54年〜60年の8年間場長を勤めている。庄山は、川俣谷茶の品質向上を技術面で支え、今日の松阪茶の全国・関西茶品評会での上位入賞の礎を築いた。


戦後の川俣谷地域(飯南・飯高)の茶園面積の推移(単位:ha)

| 地区 | 昭和40年 | 昭和50年 | 昭和60年 | 平成7年 | 平成17年 | 平成25年 | |------|---------|---------|---------|---------|---------|---------| | 飯高町 | 40 | 75 | 143 | 141 | 1,339 | 推定1,300 | | 飯南町 | 74 | 136 | 185 | 188 | — | — | | 計 | 120 | 211 | 328 | 329 | 339 | 300 |

(農林統計)


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