4 江戸時代、お茶は山に植えられ「茶山」と呼ばれていた

今のお茶畑は平地の畑にきれいな畝状に植えられ「茶園」と呼ばれていますが、江戸時代は平地の田や畑は米や麦・芋など食糧生産に大事な土地で、お茶は山に植えられ、茶が植えられた山を「茶山」と呼んでいました。

もともと、中国では山岳民族(山で暮らす人たち)が茶を作り、平地の漢民族にお茶を売っていた歴史があり、中国から日本にお茶が伝えられたときはお茶は山に植えるものだと思っていたかもしれませんね。

江戸時代からお茶の栽培が盛んであった地域の山には、江戸時代に植えられたと思われる茶の株が残っています。

竹川竹斎と畝状茶園の考案

江戸時代の終わりの頃、お茶を畑に畝状に植えることを最初に考えたのは、今の三重県松阪市射和町の竹川竹斎という人です。竹斎は、江戸の終わり頃、日本が国を開き外国と貿易が始まると聞くと、日本からの輸出品としてお茶や生糸が有利と考え、お茶や桑(蚕の餌)・紙の原料になる木の植え方を書いた「桑茶並ヒ楮植方書」や、山を開拓して茶園や桑園を作る畑の造成の仕方を書いた「開墾茶桑園圃帳」という本を書いて農家を指導しました。

竹川竹斎さんの「桑茶並ヒ楮植方書」には、一枚の畑に東西にお茶を畝状に植え、茶の畝の間に紙の原料となる木(楮)を植えよ、と書いてあります。一枚の畑に現金収入になる作物をたくさん植えて農家の収入を増やす方法を考えました。

また、竹斎は大変な読書家で、日本で最初に私立図書館「射和文庫」を創った人としても有名です。

竹川竹斎:1809〜1882年、三重県松阪市射和町の人。


竹川竹斎がつくった日本最初の私立図書館「井沢文庫」の玄関 竹川竹斎がつくった日本最初の私立図書館「井沢文庫」の玄関

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