9 江戸時代〜明治時代に、日本茶業の発展に大きく貢献した三重県人

江戸時代から明治の初めには、三重県は茶業の先進県で全国の茶業をリードした人が多くいました。ここでは書物などで記録が残されている人の中から、日本茶業の発展に大きく貢献した人を紹介します。

〇伊勢商人(射和・相可商人)

現在の松阪市射和町や多気郡多気町相可など櫛田川下流地域に生まれた商人集団で、射和商人・相可商人と呼ばれ、江戸時代に江戸や東北地方まで伊勢茶を販売していたことが、当時の豪商、富山家や浦城家の古い資料に書かれている。彼らはお茶や木綿など伊勢の産物を福井県の敦賀湊まで運び、日本海を船で山形や秋田まで運んで販売した。

〇土方雄高(1612〜1650)

現在の三重郡菰野町にあった菰野城主(殿様)。江戸時代のはじめ(1636年頃)城内に茶園をつくり、領民に茶の栽培を勧め、今の菰野町やいなべ市でお茶が栽培されるようになり、現在の北勢茶産地の基となった。

〇中川教宏(1806〜1878)

現在の四日市市水沢町にある一乗寺(当時は浄願寺といった)の住職。江戸時代の終わり頃に京都宇治の茶園を見て感動し、自ら茶園を作って農家にお茶の栽培を勧め、現在の四日市茶産地の基を作った。

〇竹川竹斎(1809〜1882)

現在の松阪市射和町の人。情報通で江戸の終わり頃、日本は外国と貿易を行うとの情報を得ると、日本からの輸出はお茶や生糸が有望と考え、お茶の作り方を書いた「桑茶並楮植方書」という本を作って農家にお茶の栽培を教えた。竹斎の指導で三重県や静岡県は大きなお茶の産地に発展した。

〇永田善次郎(1820〜1886)

現在の松阪市飯南町の人。江戸時代の終わり頃、山城国湯屋谷村の永谷武右衛門という人に弟子入りして優れた宇治製茶法を習い、この方法を三重県の南勢地方の農家に伝え指導した。このことで三重県のお茶の品質は大変良くなった。

〇伊勢の岩吉

静岡県茶業史には「明治元年、伊勢の岩吉や紋次郎という人が、静岡で『片手葉揃揉み』という手もみ製茶法を教えた」と書かれている。岩吉については度会町の人で中森岩吉という人物ではないかと推測されているが、いずれにしても明治のはじめに、三重県から多くの指導者が静岡に行って静岡県の茶農家を指導したことが記録されている。

〇酒井甚四郎(1842〜1918)

現在の鈴鹿市深井沢町の人。明治16年に静岡県庁から茶業指導者として招かれ、お茶の作り方を書いた「茶業須要」という本を書いて静岡の茶農家を指導した。酒井甚四郎の指導で静岡県の茶業技術は大変向上した。

〇大谷嘉兵衛(1844〜1933)

現在の松阪市飯高町の人。19歳のとき横浜に出てアメリカの貿易商社スミスベーカー商会の茶買受人となり、その後独立して「茶貿易商『大谷商店』」を起こし、伊勢茶をはじめ全国からお茶を買い取り日本茶の輸出に尽くす。中でもアメリカが日本茶に高い関税をかけようとしたとき、アメリカの大統領と直接交渉して関税を辞めさせるなど日本茶輸出の先頭に立った。

〇駒田作五郎(1849〜1895)

現在の津市芸濃町の人。明治10年頃、紅茶の生産に着手しアメリカに直輸出した。日本紅茶を企業的に生産し輸出した日本で最初の人である。また、茶農家が力を合わせなければならないと全国に茶業組合設立を提案し実現させた。


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