10 今も三重県は全国第三位の茶生産県

三重県のお茶は、江戸時代の終わりから明治・大正時代にはアメリカに輸出されていましたが、戦争で輸出がストップし、輸出に頼っていた三重県は国内に販路(売り先)を求めましたが、販売競争に負けてしまい、静岡茶や宇治茶の原料として使用されるようになり、いつしか歴史ある伊勢茶の名声は忘れ去られてしまいました。

この事態を心配した当時、県会議員で後に厚生労働大臣を務めた野呂恭一や四日市の茶商・中嶋末次郎らは、県内の茶生産者や茶商業者を説得して、昭和34年に三重県茶業会議所を設立して伊勢茶の再興に努力しました。

その結果、三重県の茶園面積も増加し、伊勢茶の名前も少しずつ知られるようになりました。

現在、三重県の茶園面積は3,200ヘクタール、茶生産量は7,000トンで静岡県・鹿児島県に次いで全国第三位を保っています。


戦後の三重県茶業の復興に貢献した人

〇中嶋末治郎(1899〜1990)

関西地域の茶生産府県に呼び掛けて関西茶業協議会を設立して、会長としてお茶の増産や茶品評会の開催などに尽くした。また、三重県内の茶生産者や茶商工業者をまとめ三重県茶業会議所を設立し、三重県茶業振興の先頭に立った。

〇野呂恭一(1919〜1995)

衆議院議員として厚生労働大臣を務めた政治家であるが、中嶋末治郎らと力を合わせ、三重県茶業会議所を設立し、会頭として茶業振興に尽くした。また、茶生産府県の国会議員に呼びかけ、茶業議員連盟を組織し、日本の茶業振興のための提案や事業化に尽くした。

〇杉本健太郎(1919〜1996)

伊勢茶を東京で販売するには消費者の好みに合ったお茶を作らなければならないと考え、当時、県の茶専門技術員であった若林亨の協力を得て、東京の消費者の嗜好を調査し、試行錯誤の結果、深蒸し煎茶の製茶法を考案し広めた。

〇若林亨(1915〜1970)

在来茶園(昔からある古い茶園)をヤブキタ品種に改植する指導を行い、茶農家の経営安定に尽くした。また、前記の杉本健太郎の深蒸し煎茶の製茶法を技術面で支えた。

〇横山俊祐(1913〜2003)

昭和45年(1970)に茶樹から霜の害を防ぐ「防霜ファン」を考案し、茶農家を霜の害から解放した。横山の考案した防霜技術(防霜ファン)は全国的に普及し、日本農業研究百年記念事業で、茶業部門で最も功績のあった技術として表彰された。

〇原昭男(1928〜2004)

2番茶や番茶など下級茶(品質の劣る茶)を原料に製茶機械を用いて抹茶を作る方法を考案し、上級の抹茶と区別し「モガ茶」と命名した。このモガ茶は菓子など原料として需要が多く茶農家の収入の増加に尽くした。

〇庄山孝義(1930〜2009)

伊勢茶の品質向上に取り組み、また、茶業研究機関の移転に伴い、新しい茶業研究体制の整備を行った。


三重県はお茶の産地の全国第3位:茶園面積とお茶の生産量の推移

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