8 今の三重県茶産地の成り立ち
現在の三重県茶産地は、北勢茶産地と中南勢茶産地に大きく分けられます。北勢茶産地はいなべ市・菰野町・四日市市・鈴鹿市・亀山市に連なる鈴鹿山麓に広がる茶産地で、県内茶園面積の約70%を占めています。
中南勢茶産地は津市・松阪市・多気郡・度会郡の雲出川・櫛田川・宮川流域に広がる茶産地で、県内茶産地の約30%を占めています。その他に伊賀地方や志摩地方にも少し茶産地があります。
〇北勢茶産地
現在の茶産地が出来たのは、江戸時代前期の寛永12年(1635)、菰野藩主の土方雄高が城内に茶園を作り、家臣(家来)にお茶の栽培を勧めたのが始まりといわれています。土方雄高の茶栽培の勧めで、江戸中期には菰野町やいなべ市には茶産地が出来ていたと考えられます。
その後、江戸時代後期の嘉永2年(1849)には、水沢村(現・四日市市水沢町)常願寺住職の中川教宏が自ら茶園を作り村人に茶栽培を勧め、水沢村に大きな茶産地ができ、さらに明治時代に入って鈴鹿市・亀山市に広がり、現在の広大な北勢茶産地が出来上がりました。
〇中南勢茶産地
室町時代に書かれた「背書国誌」や「異庭訓往来」という書物に、今から800年程前の鎌倉時代前期に"栄西禅師が宋国(現在の中国)から茶の実を持ち帰り、京都高山寺の明恵上人が栄西禅師から茶の実を貰い受け、伊勢川上に植えた"と書いてあります。
特に、櫛田川上流(松阪市飯高町)のお茶は江戸時代になって和歌山藩の保護を受け、さらにこの地方のお茶を伊勢商人(射和・相可商人や松坂商人)が、伊勢茶として江戸や東北地方まで販売したことから江戸時代には伊勢国はお茶の大産地として有名になりました。
















