7 伊勢茶はアメリカに盛んに輸出された

江戸時代は鎖国といって、日本は外国との貿易を禁止していました。しかし、江戸時代の終わりごろになると、アメリカなどから国を開いて貿易をするよう強い要求が出てきて、安政元年(1854)6月にアメリカのペリー総督が蒸気汽船4隻を率いて現在の東京湾に現れ、大砲で脅し、国を開いて外国と貿易をするように迫ったことから、日本は、安政6年(1859)遂に横浜港・函館港・長崎港の3港で外国との貿易が始まりました。

当時、日本は外国から近代的な機械などを輸入しましたが、日本から輸出するものは、お茶や生糸・菜種油など農産物しかなく、特に、お茶と生糸は重要な輸出品として国を挙げて奨励したことからお茶の増産は各地で始まりました。

三重県は江戸時代からお茶の大産地であったことから、率先してアメリカやヨーロッパに伊勢茶を輸出しました。日本茶業史には、日本が最初に外国に輸出したお茶の量は40万斤で、そのほとんどが伊勢茶であったと書いてあります。

お茶は最初は横浜港から輸出しましたが、慶応3年(1867)には神戸港から、明治32年(1899)からは四日市港から直接外国に輸出することが出来るようになりました。

四日市港から輸出されるようになると伊勢茶は四日市港に集められ、主にアメリカに輸出されました。四日市港には外国商社が支店を構え伊勢茶を買い付けました。明治41年(1908)の四日市港からの伊勢茶の輸出量は770トンで、この量は三重県の茶生産量の3分の1に当たります。

当時、射和村(現松阪市射和町)の竹川竹斎は、日本が外国と貿易が始まるとお茶が輸出品として有利と考え、「桑茶並楮植方書」というお茶の栽培方法を書いた本を作って農家にお茶の栽培を勧めました。

また、大谷嘉兵衛(現・松阪市飯高町)は横浜に出て茶貿易を始め、江戸に進出していた伊勢商人たちと協力し伊勢茶を買い付けアメリカに輸出しました。

日本茶は主にアメリカに輸出されましたが、昭和に入ってアメリカとの関係が悪くなり遂に戦争になって、お茶の輸出はストップしてしまいました。

鎖国について:江戸時代、徳川幕府は外国との貿易を禁止しました。これを鎖国といいます。鎖国は220年間ほど続いたといわれていますが、外国からの開国要求に屈し、遂に安政6年(1859)に日本は国を開き外国との貿易が始まりました。

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