6 江戸時代の伊勢茶の流通ルート

江戸時代には、伊勢茶は伊勢商人や近江商人の手で、江戸や東北・北陸地方、また山城宇治(京都府宇治市)まで運び販売したと説明しましたが、鉄道や自動車もない江戸時代に、どの様にして遠くまで伊勢茶を運んだのか、調べてみました。

1 中山道や信濃路を馬で江戸(東京)へ運ぶルート

江戸の中頃までは長野県に通ずる信濃路を経て中山道倉賀野宿(群馬県高崎市)まで馬で運び、ここから利根川〜江戸川を船で下り江戸に運んだ記録が残っています。

東海道は途中に大きな河川(大井川、富士川など)があり、雨が降り増水すると幾日も渡ることができないこともあり、それよりも遠くて険しい信濃路や中山道の方が安全に伊勢茶を運ぶことができると考えたのでしょう。

また、信濃には善光寺という大きなお寺があり、門前町として大都市を形成していたので、ここでも伊勢茶を販売したことから信濃路や中山道を利用したと考えられます。

当時、信濃路には馬で荷物を運ぶ中馬問屋(運送屋さん)の組織があり、確実に伊勢茶を江戸に運んでくれた様です。

2 海上輸送の江戸ルート

江戸中期になると造船技術や航海技術が発達し、伊勢茶も大型船で江戸に運ばれました。

櫛田川流域(松阪市飯南町・飯高町や大台町など)のお茶は、大口港(現在の松阪港)に集められ、ここで船に積み、白子港(鈴鹿市)で大型船に積み替え江戸に運びました。また、宮川流域(度会町や大紀町)のお茶は、宮川を川船で下り、大湊(伊勢市)から大型船で江戸に運びました。

伊勢商人は、江戸に送られた伊勢茶を、さらに船で塩釜港(宮城県仙台市)に運び、ここから陸路を馬で東北地方まで運んで販売しました。

江戸時代の海:江戸時代は、伊勢湾で大型船が入れる港は、大湊港(伊勢市)と白子港(鈴鹿市)の2項で、現在の四日市市港や名古屋港は明治時代に港として整備されました

3 敦賀港から日本海沿岸東北ルート

「茶説集成」という書物には、江戸前期〜中期の元禄〜宝永年間(1688〜1711)には、伊勢茶は伊勢商人によって敦賀(現在の福井県敦賀市)に運び、敦賀港から船で山形や秋田など東北地方に運んで販売したと書いてあります。

伊勢茶は木曽川河口の桑名(七里ノ渡)まで船で運び、ここから揖斐川を川舟でさかのぼって、横曽根で陸上げし陸路を馬で米原(滋賀県)まで運び、米原湊から琵琶湖を船で塩津湊に運んで、さらに陸路を馬で敦賀(福井県)に運びました。

河村瑞賢(1618〜1699):河村瑞賢は伊勢国度会郡鵜倉村(現在の南伊勢町)の農家に生まれましたが、人一倍の努力家で若いごろから江戸に出て海運業(船で荷物を運ぶ商売)や港湾整備・河川改修などの土木工事など手広く事業を起こし、特に山形県の酒田港ヤ秋田県の士崎港を拡張整備して、東北と江戸(東回り航路)、東北と大坂(西回り航路)を結ぶ海上輸送の航路を拓いた

4 伊勢神宮参宮道から山城宇治・大坂ルート

三重県中南勢地域のお茶は、馬で伊勢神宮参宮本街道を経て山城宇治に運び、その一部は途中の笠置(京都府)で船に積み替え木津川を船で下り大坂に運びました。このルートで運んだお茶は主に近江商人が扱ったことから、その多くは宇治茶として販売されたようです。

5 鈴鹿山脈、峠越え山城宇治ルート

いなべ市・四日市市など北勢地方のお茶は、近江商人によって山城宇治(京都府宇治市)に運ばれましたが、そのルートは2つあります。

1つは、現在のいなべ市石樽から鈴鹿山脈の八風峠を越え、現在の滋賀県の永源寺町〜八日市〜京都府宇治市に馬で運びました。

もう1つは、現在の三重郡菰野町千草から鈴鹿山脈の千草峠を越え、現在の滋賀県の永源寺町〜八日市〜京都府宇治市に馬で運びました。

当時は馬の背中にお茶を積んで、険しい鈴鹿山脈の峠道を越えて京都の宇治まで運んだようです。


伊勢茶の流通ルート地図
伊勢茶の流通ルート地図

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