はじめに|伊勢茶発祥の地 川俣谷のお茶|108teaworks
はじめに
著者は昭和11年(1936)現在の松阪市飯南町向粥見の茶農家の次男として生れました。生家は昔から製茶業を営み、子どものころは茶部屋と称する製茶工場には10台余の焙炉(手もみ製茶台)が並び、茶の季節になると茶師(手もみ技術者)が弟子を連れ泊まり込みで製茶に従事していました。また、志摩方面から多勢の茶摘み女性が来て競って茶芽を摘んでいたことを今でも鮮明に覚えています。明治17年生まれの祖母からは、私の曾祖父に当たる藤八が明治のはじめ、神戸に製茶売込所を設け、外人商社相手に川俣谷茶を売り込んだ話を何度も聞かされました。
10年ほど前、築後140年ほど経った生家を解体したとき、仏間の天井裏から当時の製茶売込所の看板が発見され、神戸の外人居留地近くに小さな茶売込の店を出していたことが裏付けられました。
この様な環境の中で育った私は子どものころから茶業に馴染み、県の茶業試験場長に就いていた叔父に憧れ県に就職し、叔父の職歴を辿ることになりますが、平成21年に私の茶業に関わった半世紀の集大成として「三重県茶業史」を編纂発刊した際に故郷川俣谷のお茶についての資料を多少蒐集したので、ここに「川俣谷のお茶」として編纂した次第であります。
なお、歴史に素養もなく、ましてや文筆家でもない私が蒐集した資料をただ羅列しただけのもので、専門家から見ればおかしいところが多くあると思いますが、長い間、茶業に携わってきた者として、伊勢茶発祥の地と伝えられる川俣谷のお茶の歴史を少しでも知ってほしいとの思いで纏めました。拙文お許し頂き、お目を通していただければ幸いであります。
平成28年2月 著者
この小誌を読んでいただくにあたって
一、川俣谷及び川俣谷茶について
「南勢雑記」には、〝川俣谷とは、柏野より下滝野、宮の前、赤桶、田引、乙栗栖、七日市、波瀬までの七里、川に添いければ川俣谷と名付く。此川下を櫛田川という〟とあり、現在の松阪市飯高町を指していますが、本誌では下流隣接の飯南町以西の櫛田川上流地域を「川俣谷」とし、この流域で産する茶を称して「川俣谷茶」とさせていただきました。
さて、川俣谷は三重県中部の山間部に位置し、周囲には1,200メートル級の山々が連なる風光明媚にして気候温暖な地域で、山峡を流れる櫛田川は三重県松阪市飯高町と奈良県東吉野村を境とする北部台高山脈を分水嶺とし伊勢湾に注ぐ延長87キロメートルの清流河川で、この地域は古くは大和興福寺や春日社の庄園として、また、南朝北畠家の支配時代を経て元和5年(1619年)に紀州藩領となりました。この地域は、早くは大和から伊勢神宮に通ずる伊勢路なる古道が拓け、江戸時代になると紀州公(和歌山藩主)の参勤交代の和歌山街道として整備され、要所に本陣を置き宿場町として往来も盛んでありました。
川俣谷にお茶が伝えられたのは、おおよそ800年前の鎌倉時代初期とされ、伊勢茶発祥の地とされています。当時の茶園は「茶山」と云って狭隘な傾斜地にへばりつく様に植えられていましたが、川俣谷川の清水と温暖且つ山間特有の昼夜の温度格差が銘茶を生み、江戸時代には、この地域で産する茶は、伊勢国の茶「伊勢茶」として伊勢商人の手で江戸をはじめ、東北、北陸地方まで販売され、また、伊勢神宮御師の手土産として使われたとも云われています。現在においても良質茶を産出する伊勢茶の中核的産地であります。
二、お茶の銘柄について
〜伊勢茶は三重県産茶のブランド名、松阪茶のルーツは川俣谷茶〜
お茶の銘柄には、産地銘柄と流通銘柄があります。産地銘柄は生産地名(例えば松阪茶、大台茶、わたらい茶、亀山茶、鈴鹿茶、水沢茶など)を付けることが多く、流通銘柄は県名(静岡茶、鹿児島茶、宮崎茶など)や江戸時代の国名(伊勢茶、宇治茶、近江茶、大和茶など)を付ける所謂、その府県の統一した茶のブランド名です。江戸時代の国名を付けている産地は古い歴史あるお茶の産地とも云えます。
江戸時代における川俣谷茶は産地銘柄で、概して櫛田川流域で産する茶、また、伊勢茶は流通銘柄で櫛田川、宮川流域で産する茶、雲出川上流部で紀州藩松坂領域のお茶で、主に伊勢商人が扱ったお茶を伊勢茶と云っていた様です。本誌では川俣谷茶・伊勢茶が随所で出てきますが、「川俣谷茶=伊勢茶」と思ってください。
三、伊勢商人について
伊勢商人とは、古くは櫛田川中流域の丹生(現在の多気町丹生地区)に産する水銀(丹生水銀)を原料に、薬や伊勢白粉などに商品化し財を成した商人(射和商人及び相可商人)と蒲生氏郷の松坂開府に伴い派生した商人(松坂町商人)を中心に近隣の津、山田(伊勢)などの有力商人を加え、主に江戸を中心に活躍した商人集団を伊勢商人と云います。彼らは木綿や呉服、茶などの産物を以て江戸に進出し、江戸を拠点に東北地方まで商圏を広め、大阪商人、近江商人と並んで日本三大商人と云われていました。中でも三井家、長谷川家、小津家、国分家などは、現在においても有数の企業体として手広く商売を続けています。
















