六 伊勢神宮御師の土産物として川俣谷茶が使われた|川俣谷のお茶|108teaworks
六 伊勢神宮御師の土産物として川俣谷茶が使われた
御師とは、伊勢神宮の大麻(御祓)をもって全国を回り、初穂料の寄進を請う人達のことで、格式のある家柄で全国に檀家を持ち、伊勢神宮の大麻(御祓)を配り初穂料を集める他、伊勢の土産物を持ち一種の商行為的色彩も強かったと云われている。
御師と伊勢茶の関わりについて、永正15年(1518)久保倉藤三の「坂東道者日記」には、御師の持参する土産物として、帯、下緒、櫛、扇、茶が挙げられ、また、昭和49年(1974)西垣晴次・松島博「三重県の歴史」にも前述の御師の役割の他、神宮の大麻(御祓)のほか、帯、杉原紙、櫛、布、海苔、茶、伊勢白粉、物さし、扇、暦などが、受ける初穂料の高によって、それぞれ配られたとある。
また、天保3年(1594)「文禄御師人数」には外宮御師数177人、慶応3年(1872)「宇治御職名帳」には内宮の御師数176人、また正徳年代(1711〜1715)には、御師数外宮500余名、内宮700名とあり、室町時代の御師の活動の場は全国津々浦々に及び格式高い御師では全国46ヶ国に檀家を持ち、伊勢の産物を土産物として配ったとの記述があることからして、伊勢茶も土産物としてのほか、一部は商品として流通していたとも考えられる。
御師の土産物として使ったお茶は、宮川流域の神領度会のものが中心と考えられ、川俣谷茶が使用された証拠はないが、ただ、向粥見村は古くは神領四疋田組に属し、川俣谷が江戸以前から茶の生産が盛んであったことを考えると、極めて早い時期には川俣谷茶も御師の土産物として使われていたのではないか。
以下、御師と伊勢茶について文献の記述を紹介する。
〇畠清次著「中世にさかのぼる伊勢茶の生産と流通」より抜粋
御師の土産物として伊勢茶が使われたのは何時の頃かは不明であるが、永禄12年(1569)7月22日、今川氏真から神領一所、馬一疋、大刀一腰、馬具一両の奉納に対し、外宮御師亀田家から御祓并矢五百、宇治茶五袋(宇治御師の茶の意で山城宇治ではなく伊勢茶であろう)がお礼に届けられた記録があり、下って信濃の御師の活躍に庶民も含め多くの檀家へ毎年の御初尾に対し伊勢茶を主として三段階に分けてお礼として配られている。
(信濃国道者之御祓くばり日記・抄 天正9年)より一部を紹介
加屋すのさいねん寺 上々上(上級茶) 10袋、あおのり、ふのり
国所こまさはちからのの助殿 茶10袋、のし50本、おび
いち村といや藤七郎殿 のし50本、茶10斤、おび
同所御代官 文後殿 のし50本、茶10袋
以上は、御師麻生六大夫の善光寺町を中心とする10,900軒の檀家の一部304軒への「御祓くばり日記」の一部である。
文化13年〜14年(1816〜1817)津島御師堀田右馬大夫の手代、山本一六郎が信濃に於ける廻檀記録に、上田城下、松本城下を含む7郡296ヶ村に対し茶3,839袋を一万度祓、三千度祓、二千度祓、一千度祓、大小御札等合5万4,720を配布している。
以上の様に中世〜近世における伊勢神宮御師の活躍はすざましいものがあり、御師の寄進に対する土産物(御礼)は、「のしあわび」と「伊勢茶」が主なものであった。
















