付録・トピックス|川俣谷のお茶|108teaworks
付録
〇大谷嘉兵衛翁顕彰事業(胸像建立)の記録
伊勢国飯高郡谷野村(現松阪市飯高町宮本)出身で、文久2年(1862)19歳で横浜に出て茶貿易で成功し、日本茶業発展に数々の業績を残し、没後、「茶聖」と称えられた大谷嘉兵衛翁の業績を顕彰しようと、平成13年(2001)1月、地元の飯高町宮本を中心に「茶王・大谷嘉兵衛の会」を結成し、同年10月14日、嘉兵衛の生誕地に顕彰碑(胸像)が建立された。
顕彰碑(胸像)の概要
- 作品:ブロンズ胸像(台座を含め190㎝)一基、台座及び業績碑一基
- 制作者 胸像:日展会員 稲垣克次氏(鈴鹿市在住)、台座一式:庭園業 林博巳氏(飯高町)、生誕地の碑:林寿一氏、林功氏、林博巳氏、三兄弟建造寄贈
- 建立地:三重県飯高町宮本(翁の生誕地)長楽寺前谷野集会所敷地内
- 除幕式:平成13年10月14日(日曜日)
- 事業費:900万円
大谷嘉兵衛翁略歴
- 弘化元年(1844)伊勢国飯高郡川俣村谷野(現三重県松阪市飯高町字宮本)に生まれる。
- 8歳のとき、長楽寺の住職に読み書きそろばんを習い、家事を手伝いながら独学を続ける。
- 文久2年(1862)3月19歳のとき、隣村森村出身の横浜で製茶問屋を営む「伊勢屋藤兵衛」に奉公し、のち藤兵衛の養子となるが意見が合わず、慶応3年(1867)スミスベーカー商会の製茶買入れ人となり、大阪において3ヶ月間で70万斤の製茶を買い入れ茶貿易界の新記録となる。
- 明治元年(1868)に独立し、横浜海岸通りに製茶売込商「大谷」を開業、横浜最大の製茶売込商となる。
- 明治12年(1879)第1回製茶共進会を横浜で、明治16年(1883)第2回製茶共進会を神戸で開催する。
- 明治16年(1883)全国の有志と計り全国茶業集会を開催し、政府に茶業組合取締の制定を建議し、翌17年(1884)茶業組合準則の発令となる。
- 明治24年(1891)48歳で茶業組合中央会議所会頭(現日本茶業中央会)に就任、昭和2年(1927)までの36年間、我が国茶業界の陣頭に立つ。
- 明治32年(1899)米国フィラデルフィア万国商業大会に日本代表として列席を機会にアメリカ合衆国大統領マッキンレーに面会し、日本茶関税の廃止を求めアメリカにおける茶税廃止法制定を実現させる。また、太平洋海底電線設置を建議しアメリカ合衆国中央政府に陳情し、太平洋商業電線会社が設立された。
- 明治40年(1907)〜大正14年(1925)まで貴族議員、明治40年(1909)勲三等瑞宝章、大正4年(1915)正五位、大正12年(1923)紺綬褒章など、数々の賞を授与される。
- 昭和8年(1933)2月、89歳で生涯を閉じる。没後、翁の功績を称え「茶聖・大谷嘉兵衛翁」と呼ばれている。
〇三重縣飯高飯野郡茶業組合規約(明治27年3月改正)
(原文のまま掲載)
第一章 総則
第一條 凡ソ茶業二従事スルモノ八明治二十年農商務省令第四號茶業組合規則ヲ遵守シ此れ茲ニ定ムル所ノ組合規約ニ同盟スルモノトス
第二條 當組合ハ三重縣飯高飯野茶業組合卜稱スル
(中略・以下省略。原文規約は全文参照のこと)
(著者補筆)
茶業組合の設立は、本県の駒田作五郎の建議と大谷嘉兵衛の尽力が政府を動かし、明治17年、農商務省令を以て「茶業組合準則」の発令となり、府県単位に茶業取締所、郡単位に茶業組合が設立された。
なお、明治20年には、府県単位に設立した茶業取締所を茶業聯合会議所に改組し、府県の茶業聯合会議所を束ねる茶業組合中央会議所(現日本茶業中央会)を東京に設立した。
トピックス:三重県生まれの幻の手もみ製茶法「片手葉揃揉み」の再現
小誌「七、粥見村茶業の勃興」の項で永田善次郎が山城国宇治湯屋谷村の永谷武右衛門に師事し宇治製茶法を川俣谷に伝えたと記述したが、この製茶法は元文3年(1738)山城国宇治湯屋谷村永谷宗円が編み出した手もみ製茶法で、この方法は茶葉を蒸し、下から熱を加えた焙炉(ほいろ)という手もみ台で茶葉を揉み、細長く針状の茶に仕上げるもので、現在の緑茶製法の基礎をなすものである。
静岡県茶業史(大正15年2月発刊)には、明治元年伊勢の岩吉なる人物が「片手葉揃揉み」の手法を静岡県に伝えたとする記述があり、この記述を引用する文献は、静岡県茶産地(牧之原開拓史考)、藤枝茶業覚え、三重県茶業史などがある。
この「片手葉揃揉み」なる製茶法とは如何なるものか。謎となっていたが、20年程前、静岡県藤枝市在住で手もみ茶製法における静岡県無形文化財保持者の青木勝雄氏が三重県から伝えられた「片手葉揃揉み」であると先代から教えられたとする技法が、度会町の中森慰氏が以前(昭和45年頃)分家の祖母から教えられていたものと全く同じであることから、祖母から伝授された手もみ技法は、明治初年に伊勢の岩吉が静岡に伝えた「片手葉揃揉み」であることを確信するに至った。平成9年三重県手もみ茶伝承保存会が設立され、会長に推挙された中森氏は、早速この技法を会員に指導し、三重県生まれの手もみ茶技法「片手葉揃揉み」の伝承保存に取り組んでいる。
この技法は、手もみ茶の仕上げ工程において、焙炉(手もみ台)の助炭面(揉み面)に片手を斜め方向に置き、片手で助炭面の茶葉を拾い、斜めに置いた手のひら上で茶葉を回転させながら茶の形状を整えて行く方法で、永谷宗円が考案した宇治製茶法の揉み切り法に比べ、能率的で揉み手の負荷も軽く済むことから南伊勢地方で広く普及した。
静岡県茶業史では、明治元年伊勢の岩吉なる者が「片手葉揃揉み」の技法を伝えたとし、明治16年には三重県より酒井甚四郎氏を聘して栽培の改良を計り、三重県製茶技師小俣善助氏を聘し、静岡各地に製茶伝習所を開設して進歩せる三重県の製茶法を伝えたりとある。
明治時代の静岡県における手もみ製茶流派は21を記録されているが、伊勢片手葉揃揉みを基本とするものは5流派確認できる。
主な参考文献
- 「日本茶業史」大正3年 塚野文之輔著 茶業組合中央会議所
- 「日本茶業史(続編)」昭和11年 茶業組合中央会議所
- 「日本茶業史資料集成」平成15年 寺本益英編集 横浜茶業誌
- 「日本茶輸出百年史」昭和34年 日本茶輸出百年史編纂委員会編 日本茶輸出組合
- 「静岡県茶業史」大正15年 静岡県茶業聯合会議所
- 「藤枝茶業覚え」平成8年 藤枝茶振興協議会
- 「三重県史(資料編、近代三産業・経済)」平成元年 三重県編集
- 「三重の茶業」大正9年 三重県茶業組合聯合会議所
- 「三重県茶業概観」昭和25年 三重県農林部農務課
- 「三重県茶業概観」昭和39年 三重県農林水産部
- 「三重県茶業会議所創立三十年記念誌」平成2年 三重県茶業会議所
- 「三重県茶累年統計」昭和44年 農林省経済局調査部、昭和50年 農林水産省統計調査部
- 「松阪市史」「飯南町史」「飯高町郷土誌」「相可町史」「勢和村史」「多気町史」
- 「四日市港開港百年史」平成11年 四日市港管理組合
- 「伊勢茶の経済的研究」昭和31年 中野清作・松田延一共著 農林省農業総合研究所
- 「大谷嘉兵衛翁伝」昭和6年 大谷嘉兵衛翁頌徳会
- 「大谷嘉兵衛翁伝抄録編」平成8年 大谷剛正著
- 「竹川竹斎翁」大正4年 三重県飯南郡教育会
- 「日本農書全集(特産「蚕茶並ヒニ紙木植方書」竹川竹斎編)」平成9年 上野利三著 農山漁村文化協会
- 「江戸時代における茶の生産と流通に関する一考察」平成11年 畠清次
- 「中世にさかのぼる伊勢茶の生産と流通」平成15年 畠清次
- 「圓光寺六百年史」平成16年 坂倉賢芳著
- 「松阪商人のすべて一(江戸進出期の様相)」平成17年 大喜多甫文著
- 「神宮御師資料」昭和55年 皇學館大学史料編纂所
- 「新聞記事」夕刊三重新聞社ほか
写真・図版
郷土英傑仮装行列・除幕式に華を添える
除幕式(胸像除幕)
国束山参道の丁石・天保15年大久保村中森岩吉の文字
度会町大久保中森慰氏の仏壇から発見された岩吉署名の書付
手もみ茶製法の改良と伝播の概図(文献からの推察)
















